ポール・マッカートニー アウトゼアージャパンツアー ポール来日まで残り

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ポール・マッカートニーは、今年6月18日で満71歳を迎えた。その1週間ばかり前の6月10日、私はニューヨークのコンサート会場にいた。昨年9月、ニュージャージー・ネッツからブルックリン・ネッツと改名したプロバスケット・チームのためにオープンしたばかりのピカピカの屋内競技場、バークレイズ・センター、1万8000名収容の会場は超満員で、1枚の余り券も無い。 5月4日のブラジルで幕を開けたポールの「OUT THERE」ツアーは、ブラジル国内3ヶ所のスタジアム公演の後はアメリカに飛んで、フロリダ州のオーランド、テキサス州のオースティン、テネシー州のメンフィス、オクラホマ州のタルサと打ち上げて、遂に6月8日、そして10日のニューヨークはブルックリンでの公演を迎えていた。

テレビのニュースでは、メンフィスでエルヴィス・プレスリーの墓前を訪れて、「エルヴィスが天国でもギターを弾けるように」と、自分の名前入りのギター・ピックを手に持って語るポールの姿が紹介され、ポールは自分に多大な影響を与えたヒーローの墓石の上に“尊敬の念と共に”ピックを置いて帰ると、その夜、メンフィスの会場フェデックス・フォーラムでのコンサートに向ったと伝えていた。

そして6月10日のコンサート。全38曲。この夜の感動と興奮を、私はどう伝えることが出来るだろう。

オープニングは、ビートルズのナンバーから「EIGHT DAYS A WEEK」。長年のビートルズ・ファンにとっても、生きた伝説、音楽の世界遺産であるポールを初めてナマで聞くという若いファンにとっても、嬉しいことに、今までのツアーでは望んでも聞くことが出来なかったビートルズの曲が実に多いことで、全38曲中、ビートルズ・ナンバーは26曲。しかも、「EIGHT DAYS A WEEK」の他、「YOUR MOTHER SHOULD KNOW」は珍らしや『マジカル・ミステリー・ツアー』からの一曲だし、「ALL TOGETHER NOW」は『イエロー・サブマリン』からの物だ。

そしてジョン・レノンが書いたナンバーとして選んだという『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』からの一曲「BEING FOR THE BENEFIT OF MR. KITE!」は、アルバムの中でも特殊な工夫を凝らして創り出していたミステリアスな雰囲気を、ちゃんと再現してくれていて涙ものだったし、もう一曲、同アルバムからは「LOVELY RITA」が初参加。

なんと「EIGHT DAYS A WEEK」を含めての上記5曲は、ビートルズの現役時代も解散後も、ビートルズのメンバーによってコンサート等で演奏されたことは今回のツアーまで無かったというのだから、それだけでもすごく嬉しい気持になってしまう。
今回、ブラジルやメンフィス等で演奏された曲目をネットで調べて見ると、私が聞いた10日の夜のセットリストとは、時に曲順が違って演奏されるくらいで基本的な違いは無いから、11月の日本公演でもこれらの貴重な演奏は楽しめるはずなので、ぜひ期待して欲しいと思う。

またニューヨークでは思いもかけず10曲目の「MAYBE I’M AMAZED」の後に、リンダとの想い出が強く尾を引いて誘い出されたかのように、ビートルズが1964年のハリウッド・ボウルで演奏した「THINGS WE SAID TODAY」が、それまでのセットリストには無かった曲として歌われたのだが、「EIGHT DAYS A WEEK」と同じ頃に作られたポールのこの曲は、前回2002年の来日公演でも演奏されなかった曲だけに、古いポール・ファンにとってはたまらなく嬉しい曲なのではないだろうか。

前回、2002年のコンサートから、11年ぶりにポールは来日してくれるのだが、この「THINGS WE SAID TODAY」のような曲が、その日のポールの気分でパッと出て来る大きな理由のひとつには、バック・メンバー達との水も漏らさぬ見事なチーム・ワークぶりと、人間としての信頼関係、強い絆があるからだと思う。

ポールがリンダ・マッカートニーと結婚して、リンダをメンバーに1971年〜1981年までの10年間を共にしたウイングスは、現在のメンバーに近い年月を過して来て、それだけの成功と成長をポールにもたらしたグループだったけれど、2002年の来日の時も素晴らしいサポートぶりを見せてくれた今のメンバーは、ウイングスの歴史を越えてもなおパワフルで若々しく、笑顔とエネルギーに満ちていて心強い。

それらのメンバーは後でご紹介するとして、コンサートの曲目に戻ると、2曲目はウイングス英米での9枚目のシングル曲で、「JUNIOR’S FARM」。そしてビートルズで「ALL MY LOVING」、再びウイングスで「LISTEN TO WHAT THE MAN SAID」。『バンド・オン・ザ・ラン』から「LET ME ROLL IT」。そしてもう1曲ビートルズで12枚目のシングルだった「PAPERBACK WRITER」が聞かれる。

ステージ後方には巾が約20メートルの大スクリーンが広がっていて、さまざまな背景やムーヴィング・ライトがステージをカラフルに彩り、ポールはベースやエレクトリック・ギターなどを次々に持ち替えて、楽器に詳しい人なら、あ!あのアコギはオベイションだ、今度はエピフォン・カジノだ、お馴染みのレスポールだ!と、一喜一憂することだろう。もちろんピアノもダッドリー・エドワーズがペイントしたカラフルなマジック・ピアノのKnight K 10と、通常の黒塗りのピアノが2台。

私が思わず最初に涙をこぼしたのは、2011年10月9日に結婚したナンシー・シェヴェルのために作ったと言って、ポールの47枚目のアルバム『キス・オン・ザ・ボトム』からのロマンティックな「MY VALENTINE」を歌った後、ウイングスの「NINETEEN HUNDRED AND EIGHTY FIVE」を演奏。次に70年代に入ろうとする頃の苦しかった時代に微妙につながっていく「THE LONG AND WINDING ROAD」を歌い上げて、「今日はニューヨークだから、本当に昔から知ってる人たちも沢山来ていて…」と、話し始め、ニューヨーク出身のリンダに触れたあたりからだった。

この日の会場には、どうやらリンダのお兄さんでポールが大麻所持のために日本でつかまった時、真っ先にニューヨークから駆けつけてくれた弁護士のジョン・イーストマンが家族と共に来ていたらしい。

2002年の前回のコンサートは、リンダを乳癌で1998年4月に亡くして、ひと回りもふた回りも小さくなってしまったポールが、ヘザー・ミルズと結婚。新妻を連れて来日した「バック・イン・ザ・USツアー」に続く「ドライヴィング・ジャパン・ツアー」のステージ。この時は見違えるようにパワフルな歌を聞かせてくれて、新しい奥さんと結婚したことでここまで復活できるんだったら、それも仕方の無いことか…と複雑な心境だったし、バックのスクリーンからも微妙にリンダの影が薄くなっていて、リンダに捧げて作られたアルバム『マッカートニー』の中の重要な一曲「MAYBE I’M AMAZED」を聞いても、なんだか淋しさを感じただけだったのが、今回は違っていた。

ポールの最初のソロ・アルバム『マッカートニー』がリリースされたのは、ビートルズの最後のアルバムとなる『レット・イット・ビー』が出るより少し前で、まるで農場で手造りされたようなアルバムのジャケット写真や、中に散りばめられた写真も、すべてリンダが撮影した物だった。

それが今回スクリーンには、そのジャケ写にも使われていた、リンダとポールの間に産まれた最初の娘メリーを、ポールが上着の胸の中に入れて、スコットランドのハイパークの農場でリンダのカメラに収まっている映像が使われて、思わず目頭が熱くなった。

それに続いての前記の「THINGS WE SAID TODAY」であり、ビートルズの英での11枚目のシングル「WE CAN WORK IT OUT」であり、その後ポールは12弦のアコースティック・ギターを持ってリンダと一緒に作った『RAM(ラム)』から「ANOTHER DAY」を。その後は昔1964年に録音した時に弾いていたというギターに持ち替えて「AND I LOVE HER」と「BLACKBIRD」を歌ったあと、「もしここにジョンがいたら、きっとこんな会話をしたと思うんだ」と言って、ジョンが亡くなった後の1982年に出した『タッグ・オブ・ウォー』の中から、「HERE TODAY」をしみじみと歌ってくれて…。そして歌い終ると、「I love you John!」と。もう、場内は大歓声。ジョンもポールも、半分はニューヨークの人だったんだ、と納得。

そして更に、『マジカル・ミステリー・ツアー』からビートルズの「YOUR MOTHER SHOULD KNOW」や、ビートルズの英での17枚目のシングル「LADY MADONNA」、『イエロー・サブマリン』から「ALL TOGETHER NOW」と「LOVELY RITA」を歌うと、50代、60代の聴衆もティーンエイジャーに戻って、客席は踊り狂い、飛びはねて、もう熱狂のるつぼ。

そうそう、そう言えば私のすぐ前の席には、今メチャ売れているアーティストの一人であるピット・ブル氏が座っていて、いかにもNYのパーティ・ピープル風のシルキーなスーツ姿で立ち上がり、お隣りの白人の太目のおばちゃんとダンスしていた。

曲目は21曲目がウイングスのアルバム『バンド・オン・ザ・ラン』から「MRS. VANDEVILT」、そしてビートルズ英での13枚目のシングル「ELEANOR RIGBY」の後は、ジョンの「BEING FOR THE BENEFIT OF MR. KITE!」があって、その次は前回のステージや、その他のシーンでもお馴染みの、あのジョージから貰ったウクレレを持って「SOMETHING」を。ジョージとの間にも、色々と確執があったポールだが、今はもうただひたすら懐しく、楽しかった時の記憶ばかりが蘇ってくるのはポールも観客も同じで、つい涙腺がゆるんでしまう。

最近のポールはインタビューでもずいぶん昔のことを話すようになっていて、ビートルズの解散にヨーコの存在は関係なかったという話や、新しくめぐり逢って結婚したアメリカ人女性ナンシー・シェヴェルが、その生活や育ちのバックグラウンドがリンダと良く似通っていること。リンダが写真を勉強し、息を引き取る日まで好んで過ごしていたアリゾナとも、ナンシーは縁が深いということなどを語り、ナンシーとは、わざわざ44年前にポールがリンダと式を挙げたロンドン市内の教会で、限られた親族や友人に囲まれて結婚式をしている。莫大な慰謝料を払って離婚した前妻ヘザーとはどうやら正反対の、育ちはいいけれど質素な人だという。

そんな精神面の充実が、これだけのエネルギーを70歳を過ぎたポールに与えているのだとしたら、本当に愛の力は凄いとしか言いようが無いし、ポールが40年も前から始めて、やがてリンダも本格的に取り組むようになったベジタリアンとしての食生活が、今は理想的な形でポールの体に働いているらしい。 今回の「OUT THERE」のパンフレットの中で、「月曜日には肉を食べるのをやめよう!」と、ポールは地球環境と人々の健康のために呼びかけており、顔はふっくら体はスリムな全体像そのものが、明らかに11年前よりも若々しいのだ。

コンサートはこの後、「OB-LA-DI ,OB-LA-DA」で会場中が飛びはねて、ウイングスの「BAND ON THE RUN」、ビートルズの「BACK IN THE U.S.S.R」「LET IT BE」といっ気に盛り上って、ジェームズ・ボンドの映画の主題曲として使われた「LIVE AND LET DIE」では、客席の私たちの顔までがポーと熱くなる火柱がドカン!!ドカン!!と炸裂、花火がパチパチ。これ、日本のステージでは消防法でむずかしいところもあるとは思うが、せめて音と閃光とで、派手にキメて欲しいものだ。

さあ、そして最後の「HEY JUDE」。2万人近い聴衆の大合唱で場内はゆれて、見回せばそこでも、ここでも、大の大人の男性の目や頬に、大粒の涙が溢れている。音楽は言葉や国境を越えて、人々の心を元気と希望で満たす「副作用の無い良薬」だというけれど、こんな理屈を越えた感動は、ポールだからこそ与えられるものかも知れない、と、改めて気がついた。

60年代からスーパー・スターとしてシーンをリードして来た人たちは、他にもローリング・ストーンズやボブ・ディランがいるけれど、この記憶と思い出の中に染み込んだメロディの美しさ、見事さは、ポールならではのものだからだ。

「EIGHT DAYS A WEEK」から始まって「THE LONG AND WINDING ROAD」「AND I LOVE HER」「ELEANOR RIGBY」「LET IT BE」「HEY JUDE」などなど、挙げたら切りが無い珠玉のメロディーたち。そしてそこにポールと共に存在して、唯一無二の深く魅力ある世界を創り出してくれた今は亡きジョン・レノン、ジョージ・ハリソン、そしてリンダ・マッカートニーといった人達。

まさにこれこそが、今この地上に存在している世界最高峰の「生きた音楽遺産」そのものではないのか。

私もポロポロと涙をこぼしながら、夢中で拍手をしているうちに、再びポール達がステージに登場。アンコールはビートルズで「DAY TRIPPER」、ウイングスで「HI,HI,HI」、そしてアンコール最後は1963年2月に録音されたビートルズの「I SAW HER STANDING THERE」。デビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』に入っていた永遠の名曲だ。

これでいよいよ終りかと思っていたら、ポールが今度は引っ張り出されるように出て来て「YESTADAY」。それが終わって「まだもっとロックンロールしたいかい?本当にいいんだね?!知らないよ!」と叫んで始まったのがハード・ロックのハシりと言われたビートルズ『ホワイト・アルバム』の中の「HELTER SKELTER」、続いてこれでもか!とばかりに『アビイ・ロード』から「GOLDEN SLUMBERS」。そしてそのまま「CARRY THAT WEIGHT」「THE END」と、『アビイ・ロード』からのお別れの曲が続いて、2時間以上に及んだ「OUT THERE」コンサートは遂に終演を迎えたのだった。

それにしても、なんと楽しい、サーヴィス精神一杯のコンサートだったろうか。ポールはこれだけのステージを、71歳を迎えた今もポーランド、イタリア、オーストラリア、カナダ、アメリカと続けて、11月に日本まで来てくれるというのだから、それだけで頭が下ってしまう。

ビートルズが最初に来た1966年から、ウイングスやその後のソロ・コンサートなど、幸運にもこの半世紀の間に、私は何度かポールのステージを日本の外でも見て来たけれど、これほどまでに感動し、感激したことは無かった。どうして、どこが、どう前回とも違っていたのか?

それは多分、そこに未だかつて無いほど、ポールの「想い」が溢れていたからなのだと思う。愛、と言ったらいいだろうか。ジョンやジョージへの、リンダへの、そして聴衆の人生と、その聴衆と共にあった自分の人生への、ナンシーへの、子供たちへの、音楽への、地球への、生きとし生けるものへの溢れるような愛情と、感謝の気持。それが痛いほど伝わって来たのだ。

ポールは、こう語っている。「僕は、盛り上がる曲をやりたいんだよ。毎晩、同じ曲をやる必要もないんだけど、でも、僕にはひとつのパターンがある。僕はそのパターンで準備をしているんだ。何が盛り上がるか確かめるためにね。

僕はディランとは正反対なんだ。ディランは“今夜のMR.TAMBOURINE MANは最高だったよ”と言われて、“じゃ明日はそれはやめよう”と言ったそうだよ。その勇気はすごいと思うけど、僕はそういうタイプじゃない。僕は“よし、なら明日もそれをやろう”と思うタイプなんだ」と。

なぜなら、選曲も演奏も、すべては聴衆に最高のものを届けて、共に人生で最高の瞬間を共有したいからだと言う。ポールはありったけの「ありがとう」を「そこにいる(OUT THERE)私たちに、わざわざ出かけて(OUT THERE)」して、届けに来てくれる、まさにそういう人なのだ。

思えば今年は、私が今も限りなく尊敬する永島達司氏が、ビートルズを日本に招聘したキョードー東京(当時は協同企画エージェンシー)を設立して、ちょうど50年になる。

1953年以降、ナット・キング・コール、サミー・デイヴィス・JR.,フランク・シナトラ、カーペンターズ、ダイアナ・ロス、マイケル・ジャクソンなどを招聘。永島さんに対する彼等からの厚い信頼があってこそ発展した日本のプロモーター業界であり、実現した1966年のビートルズの来日公演だったのだ。

永島さんとポールの交流は、1999年に永島さんが亡くなるまで続き、その死に際してはポールから、「タツ・ナガシマは日本の音楽業界にとってもっとも大切な存在でした。彼は音楽の世界では、日本を代表する外交官だったのです」という手紙が、永島さんの奥様の元に届いている。

だからこそ、どうしても今回の公演は、永島さんのためにも、キョードー東京50周年の記念事業として実現させたいコンサートでもあった。

また、ポールの来日公演は、ビートルズとして日本の歴史上、初めて武道館を音楽に解放してくれた1966年6月30日からの5公演が記念すべき初来日で、それ以後は1975年、80年のウイングスとしての公演が、幻で終っている。

そしてやっとマッカートニー・バンドとして来てくれた24年ぶりの1990年3月と、その時に周り切れなかった福岡まで足を伸ばしてくれた93年11月からは、9年後の2002年に来日してくれたのが、今日まで最後だった。

だから、ビートルズを除いては、40年余のソロ・キャリアーの中で、やっと3回の来日公演しか無いのだ。

その長いキャリアを通してポールを聴いて来て、先ほども書いたけれど、これほどミュージシャンとしても、一人の人間としても、円熟して素晴らしいポールを、今、この時点で聴くことが出来るなんて、正直考えてもいなかった。あのロンドン・オリンピックの開会式で、たった一曲聴いて大感激したポールを、なんと38曲!! 2時間以上も、ゆっくりと堪能することが出来たのだから、永年のビートルズ・ファンはもちろんのこと、ウイングス以降のファンも、クラシック・ファンも、ビートルズなど名前でしか知らないという人も、老いも若きも、この貴重な機会を何としてでも逃して欲しくないと思う。今回の来日公演はまさに、20世紀から21世紀を通して、二度と味わうことの出来ない音楽の貴重な歴史そのものなのだ。

ポールには、今から先ももっともっと活躍して欲しいけれど、満71歳という年令を考える時、再びの来日があるかどうか、第一、自分が、世界が、どうなっているのかも解らないのだから… 。

さあ、精一杯の愛情と尊敬の念を込めて、大地をゆるがすような大歓声でポールを迎えようではないか。来てくれてありがとう!ポール、日本はあなたを心から愛しています!!

2013年6月
音楽評論家・作詞家
湯川れい子


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