東京2014年5月17日(土)18(日)国立競技場 大阪2014年5月24日(土)ヤンマースタジアム長居

 

1942年6月18日に英リバプールで生まれたポール・マッカートニーは、リバプールで育ち、リバプールインスティチュートで学んだ。

ビートルズと共に音楽の世界を永遠に変えたポール・マッカートニーは、その後も40年以上にわたり音楽界の境界線を押し広げてきた。その活動は、ソロのアーティストとして、または、ウイングスの一員として、ブリット・アワードを受賞したクラシック音楽の作曲家として、半ば実験的なプロジェクトであるザ・ファイアーマンとして、ニューヨーク・シティ・バレエ団の2011年の『オーシャンズ・キングダム』の作曲家として、そして、直近では、自身が子供の頃から好きだった曲を含むスタンダード・ナンバーのほか、2曲の新曲「マイ・ヴァレンタイン」と「オンリー・アワ・ハーツ」までを収録し、2012年のグラミー賞を受賞したアルバム、『キス・オン・ザ・ボトム』の作曲家としてなど、多岐にわたる。

14歳で初めて曲を書いて以来、ポールは常に彼ならではのアイデアで音楽の歴史の流れを変化させてきた。ビートルズとその伝説的な数々のアルバムである、『プリーズ・プリーズ・ミー』、『ウィズ・ザ・ビートルズ』、『ハード・デイズ・ナイト』、『ビートルズ・フォー・セール』、『4人はアイドル』、『ラバー・ソウル』、『リボルバー』、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、『ザ・ビートルズ(通称ホワイト・アルバム)』、『イエロー・サブマリン』、『アビイ・ロード』、そして、『レット・イット・ビー』が、過去と現在、そして未来に与える影響を表現しようとすることなど、ほとんど滑稽な試みだと言えるだろう。コンピレーション・アルバムである『ザ・ビートルズ1』が、2000年を迎えてからの10年間で最も売れたアルバムだということは、言うまでもない。

1970年代から現在までポールの活動は衰えることを知らず、多大な影響力を持ち続けてきた。1970年にソロ第一作目の不朽のアルバム、『ポール・マッカートニー』をリリースすると、翌1971年には素朴なクラシックアルバム『RAM』をリンダ・マッカートニーと共に製作。その後も、ウイングスから、2度のグラミー賞受賞アルバム(1975年、2012年)である『バンド・オン・ザ・ラン』や、『ヴィーナス・アンド・マース』、『スピード・オブ・サウンド』、『ロンドン・タウン』などを発表した。その後は再びソロとして活躍し、1980年には、当時の時代の先を行き新たな発見を見出した『マッカートニーⅡ』を、1982年に『タッグ・オブ・ウォー』、1989年に『フラワーズ・イン・ザ・ダート』、1997年に『フレイミング・パイ』、2005年に『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード~裏庭の混沌と創造』、そして2007年に『追憶の彼方に~メモリー・オールモスト・フル』を発表した。2008年には、プロデューサーとしても有名なユースと共に進めるプロジェクトであるザ・ファイアーマンから、『エレクトリック・アーギュメンツ』をリリース。絶賛を浴び、収録曲の1つである「Sing The Changes」は、近年ポールが行うライブでのセットリストの常連ナンバーとなり、billboardのインディーズアルバムチャートではトップを飾った。『キス・オン・ザ・ボトム』がリリースされると、billboardのジャズアルバムチャートで1位を獲得し、また世界中でトップ5にランクイン。また、2012年のグラミー賞ではベスト・トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・アルバム賞を受賞した。

ポールは、クラシック音楽の作曲家としても成功している。2011年に前述の『オーシャンズ・キングダム』、1991年に『リヴァプール・オラトリオ』、1997年に『スタンディング・ストーン』、1999年に『マイ・ラヴ~ワーキング・クラシカル』、そして2006年に『Ecce Cor Meum』をリリース。なお、『Ecce Cor Meum』は翌年2007年に、クラシック・ブリット・アワードで最優秀アルバム賞を獲得している。

グラミーでは18回の受賞や、特別功労賞も受賞しているポール。その受賞歴は他者と比較するには及ばず、2012年にはさらに、MusiCares Person of the Year に選出された。その授賞式では、フー・ファイターズやクリス・マーティン(コールドプレイ)、ニール・ヤング、トニー・ベネット、ケイティ・ペリー、ダイアナ・クラールといったアーティストたちがポールの曲をトリビュートして演奏している。この賞は、ポールの類を見ない創作活動の業績と、彼が長年続けてきたチャリティー活動への貢献に対し授与されたものだ。チャリティー活動としては、PETA、LIPA(総合芸術大学)、OneVoice、ベジタリアン協会、ノードフ・ロビンズ音楽療法研究会、Adopt-A-Minefield(地雷撲滅運動団体)などへの貢献を続けてきたほか、歴史的なチャリティーコンサートである、1985年の「ライヴ・エイド」、2001年の「コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ」、そして、2005年の「ライブ8」に参加している。

 

2010年、ポールは米ホワイトハウスを2回訪れ、それぞれ特別な賞を受賞している。まずは6月に、ポピュラー音楽の分野で功績のあった人に授与されるガーシュイン賞をイギリス人として初めて受賞し、バラク・オバマ米大統領とその家族を前に演奏した。12月に再びホワイトハウスを訪れると(オバマ大統領は、ポールを常連だと冗談を言ったほどだ)、ケネディ・センター名誉賞を受賞した。

他の受賞歴を挙げると、2008年にブリット・アワードで特別功労賞を受賞し、イェール大学では名誉博士号を獲得。1999年にロックの殿堂入りを果たし、1997年には彼の音楽活動での功績に対し、エリザベス英女王からナイトの爵位を叙されたことは言うまでもない。

ライブ・パフォーマンスについては、自身の精力的な曲作りに負けない評判を得ているポール。過去10年間にも数多くのコンサートがソールド・アウトとなり、世界中で文字通り何百万人もの聴衆から熱烈な称賛を浴びてきた。その中でも特筆すべきコンサートは、2003年にローマのコロッセオの外で行い50万人を集客したコンサートや、モスクワの赤の広場で行った初コンサート。他にも、2005年に国際宇宙ステーション(ISS)にいる宇宙飛行士に向けてウェイクアップミュージックをライブ演奏で届けている。2008年には、リバプールで「Liverpool Sound Concert」に参加。キエフでは、コンサートに40万人以上のファンが集まり、ウクライナで過去最大のアウトドア音楽イベントとなった。カナダのケベック市の市制400年を祝うコンサートでは、エイブラハム平原に30万人の聴衆が集結。また、初めてイスラエルを訪れ、テルアビブで「Friendship First」コンサートを開催した。

2009年には、次なるツアー、「Summer Live ’09 Tour」の開幕を米ニューヨークの新スタジアム、シティ・フィールドで行ったが、これは、シティ・フィールドで行われた初コンサートでもあった。このスタジアムはかつてのシェイ・スタジアムで、1965年にビートルズがかの歴史に残るコンサートを行った場所だ。この時のコンサートが先駆けとなり、近年、多くのロック・コンサートがスタジアムで開催されるようになった。なお、シティ・フィールドでのコンサートの数日後に米CBSテレビの人気トーク番組『レイト・ショー・ウィズ・デヴィッド・レターマン』に出演したポールは、ニューヨークのエド・サリヴァン・シアター(かつてそのシアターの中で、『エド・サリヴァン・ショー』に登場したビートルズは、テレビ界に数々の逸話を残している)のルーフトップでサプライズのパフォーマンスを行い、ブロードウェイはコロンバス・サークルからタイムズスクエアまで一帯が群衆で埋め尽くされた。シティ・フィールドでのコンサートには10万人以上が集結。生涯心に残るコンサートだとしてファンからも批評家からも熱烈な称賛を浴び、『グッド・イヴニング・ニューヨーク・シティ~ベスト・ヒッツ・ライヴ』として3枚組でCD/DVD化され、不朽のものとなった。2011年には、その中に収録されている「ヘルター・スケルター」で、ポール・マッカートニーはグラミー賞のソロ・ロック・ヴォーカル・パフォーマンス賞を受賞した。

 

2009年の締めくくりは、ロンドンのO2アリーナでポールが初めて行ったコンサートだ。絶賛を博し、イギリスの『デイリー・テレグラフ』紙は「67歳のポール・マッカートニーがどんな不老不死の薬を使っているのかは謎のままだ。しかし、多くの聴衆、それもとりわけ、熱烈なウエーブを浴びせてくれるファンを前にパフォーマンスをすることで、とてつもないパワーを得ているのだろう」と評している。

続くツアー、「Up and Coming Tour」では、2010年3月に米アリゾナ州フェニックスを皮切りに30回以上の公演を行い、100万人を超えるファンを動員した。2回の公演がソールドアウトとなったハリウッドボウル、初めて訪れたプエルトリコ、二夜連続で記録的な公演となったメキシコのフォロ・ソル・スタジアム、初コンサートとなったナッシュビルとソルトレークシティー、1966年にビートルズ最後のコンサートをキャンドル・スティック・パークで公演して以来、ポールにとって初めてのコンサートとなるサンフランシスコ。その他にも、マイアミ、ダブリン、グラスゴー、カーディフ、ロンドン、デンバー、カンザスシティー、シャーロット、モントリオール、ポルトアレグレ、2回の公演が行われたトロント、フィラデルフィア、ピッツバーグ、ブエノスアイレス、サンパウロと、それらのすべてのツアーが2010年の12月末までに行われた。そして、この年の締めくくりは、ニューヨークのハーレムにあるアポロシアターでの初コンサートと、続いてロンドンの伝説のライブハウス、100クラブでのライブとなり、これは彼のソロ活動を通して最もくつろいだ雰囲気で行われた。

2011年はペルーでの初コンサートで始まり、チリでは1993年以来のコンサートを開催。リオデジャネイロではエスタジオ・オリンピコ・ジョアン・アベランジェで2回のブロックバスター級の公演を行ったが、ラテンアメリカで初となるインターネットでのライブ中継を行い、10万枚のチケットを手にすることができなかった150万人以上のファンが一緒に楽しんだ。38公演に及ぶツアー、「Up and Coming Tour」は翌月の2011年6月10日、ラスベガスのMGMグランド・ガーデン・アリーナで幕を閉じた。

ポールはその後、「On The Run」ツアーを、2011年の音楽イベントを開催していたニューヨーク市でスタート。7月15日、16日のヤンキースタジアムでのコンサートは記録的なソールド・アウトとなり、両日ともほぼ3時間にわたり、9万人ものファンがポールと共に熱唱した。ニューヨーク市のメディアは恐らく、最も熱烈とも言えるコンサートレビューでにぎわったことだろう。

「On The Run」ツアーのソールド・アウトはその後も続き、デトロイトのコメリカ・パーク、二夜の公演を行ったモントリオール・ベルセンターとシカゴのリグレーフィールド、ロック・コンサートが上演されるのは初めてだったというシンシナティのグレートアメリカン・ボールパークのほか、ボローニャ、ミラノ、パリ、ケルン、ロンドン、ストックホルム、ヘルシンキ、モスクワ、マンチェスターでも公演。そして最後はリバプールのエコーアリーナに帰郷し、フィナーレを飾った。

 

 

 

湯川れい子 ポールマッカートニー再来日によせて

続々到着!各界からのコメント 詳しくはこちら

 

ツアーオフィシャル フェイスブック