ポール、完全復活! 再来日公演が遂に決定!!
1942年6月18日に英リバプールで生まれたポール・マッカートニーは、
リバプールで育ち、リバプールインスティチュートで学んだ。
ビートルズと共に音楽の世界を永遠に変えたポール・マッカートニーは、その後も40年以上にわたり音楽界の境界線を押し広げてきた。その活動は、ソロのアーティストとして、または、ウイングスの一員として、ブリット・アワードを受賞したクラシック音楽の作曲家として、半ば実験的なプロジェクトであるザ・ファイアーマンとして、ニューヨーク・シティ・バレエ団の2011年の『オーシャンズ・キングダム』の作曲家として、そして、直近では、自身が子供の頃から好きだった曲を含むスタンダード・ナンバーのほか、2曲の新曲「マイ・ヴァレンタイン」と「オンリー・アワ・ハーツ」までを収録し、2012年のグラミー賞を受賞したアルバム、『キス・オン・ザ・ボトム』の作曲家としてなど、多岐にわたる。
14歳で初めて曲を書いて以来、ポールは常に彼ならではのアイデアで音楽の歴史の流れを変化させてきた。ビートルズとその伝説的な数々のアルバムである、『プリーズ・プリーズ・ミー』、『ウィズ・ザ・ビートルズ』、『ハード・デイズ・ナイト』、『ビートルズ・フォー・セール』、『4人はアイドル』、『ラバー・ソウル』、『リボルバー』、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』、『ザ・ビートルズ(通称ホワイト・アルバム)』、『イエロー・サブマリン』、『アビイ・ロード』、そして、『レット・イット・ビー』が、過去と現在、そして未来に与える影響を表現しようとすることなど、ほとんど滑稽な試みだと言えるだろう。コンピレーション・アルバムである『ザ・ビートルズ1』が、2000年を迎えてからの10年間で最も売れたアルバムだということは、言うまでもない。
1970年代から現在までポールの活動は衰えることを知らず、多大な影響力を持ち続けてきた。1970年にソロ第一作目の不朽のアルバム、『ポール・マッカートニー』をリリースすると、翌1971年には素朴なクラシックアルバム『RAM』をリンダ・マッカートニーと共に製作。その後も、ウイングスから、2度のグラミー賞受賞アルバム(1975年、2012年)である『バンド・オン・ザ・ラン』や、『ヴィーナス・アンド・マース』、『スピード・オブ・サウンド』、『ロンドン・タウン』などを発表した。その後は再びソロとして活躍し、1980年には、当時の時代の先を行き新たな発見を見出した『マッカートニーⅡ』を、1982年に『タッグ・オブ・ウォー』、1989年に『フラワーズ・イン・ザ・ダート』、1997年に『フレイミング・パイ』、2005年に『ケイオス・アンド・クリエイション・イン・ザ・バックヤード~裏庭の混沌と創造』、そして2007年に『追憶の彼方に~メモリー・オールモスト・フル』を発表した。2008年には、プロデューサーとしても有名なユースと共に進めるプロジェクトであるザ・ファイアーマンから、『エレクトリック・アーギュメンツ』をリリース。絶賛を浴び、収録曲の1つである「Sing The Changes」は、近年ポールが行うライブでのセットリストの常連ナンバーとなり、billboardのインディーズアルバムチャートではトップを飾った。『キス・オン・ザ・ボトム』がリリースされると、billboardのジャズアルバムチャートで1位を獲得し、また世界中でトップ5にランクイン。また、2012年のグラミー賞ではベスト・トラディショナル・ポップ・ヴォーカル・アルバム賞を受賞した。
ポールは、クラシック音楽の作曲家としても成功している。2011年に前述の『オーシャンズ・キングダム』、1991年に『リヴァプール・オラトリオ』、1997年に『スタンディング・ストーン』、1999年に『マイ・ラヴ~ワーキング・クラシカル』、そして2006年に『Ecce Cor Meum』をリリース。なお、『Ecce Cor Meum』は翌年2007年に、クラシック・ブリット・アワードで最優秀アルバム賞を獲得している。
グラミーでは18回の受賞や、特別功労賞も受賞しているポール。その受賞歴は他者と比較するには及ばず、2012年にはさらに、MusiCares Person of the Year に選出された。その授賞式では、フー・ファイターズやクリス・マーティン(コールドプレイ)、ニール・ヤング、トニー・ベネット、ケイティ・ペリー、ダイアナ・クラールといったアーティストたちがポールの曲をトリビュートして演奏している。この賞は、ポールの類を見ない創作活動の業績と、彼が長年続けてきたチャリティー活動への貢献に対し授与されたものだ。チャリティー活動としては、PETA、LIPA(総合芸術大学)、OneVoice、ベジタリアン協会、ノードフ・ロビンズ音楽療法研究会、Adopt-A-Minefield(地雷撲滅運動団体)などへの貢献を続けてきたほか、歴史的なチャリティーコンサートである、1985年の「ライヴ・エイド」、2001年の「コンサート・フォー・ニューヨーク・シティ」、そして、2005年の「ライブ8」に参加している。